大雄寺について

大雄寺

慶長九年(一六〇四)創建。
開山は真応院日達。日達は玉沢妙法華寺十六世。
徳川家康が江戸入府の折、開山日達は家康尊信の摩利支天像を奉じ、ともに入府しました。
天和八年(一六八八)四月に神田土手下に寺領を拝しました。
安永元年(一七七二)にも類焼したが、その後再建され、元治元年(一八六四)江戸の大火に見舞われ、現在地へ移転今日までに至ります。
境内の楠の脇には幕末三舟の一人、高橋泥舟の墓があります。

慈母観音さくら納骨塔

私達を取り巻く環境は、時代の流れとともに刻一刻と変化していきます。

その中で『お墓の後を見る後継者がいない』、『子供がいてもお墓の管理が難しい』、『現在の住いから墓参りが難しい』、『将来的に永代供養をしてほしい』など様々な事情を抱えてる人が増えています。

この様な皆様のお悩みの力になれればと思い、安心して供養・お墓参りができるようにと古くからある慈母観音の下に納骨墓を建立いたしました。

春のお彼岸の時季には、先々代が身延山久遠寺から苗木を持ち帰り植えた枝垂れ桜が見頃を迎え春の訪れとともに気持ちよく皆様にお参りしていただけることと思います。

大雄寺の歴史について

大雄寺は、日蓮宗の寺院で長昌山と号します。
日達聖人が開基しました。
慶長9年(1604年)神田土手下に創建され、元冶元年(1864年)江戸の大火に見舞われ、現在地へ移転しました。
伊豆玉沢妙法華寺末の江戸触頭を勤めていたと云います。
境内には高橋泥舟のお墓があります。
高橋泥舟は江戸において、旗本・山岡正業の次男として生まれます。通称を謙三郎、明治以後は精一。諱は政晃。号を忍歳といい、泥舟は後年の号です。
母方を継いで高橋包承の養子となりました。生家の山岡家は槍の自得院流(忍心流)の名家で、精妙を謳われた長兄・山岡静山に就いて槍を修行、海内無双、神業に達したとの評を得るまでになります。
生家の男子がみな他家へ出た後で静山が27歳で早世、山岡家に残る妹の英子の婿養子に迎えた門人の小野鉄太郎が後の山岡鉄舟で、泥舟の義弟にあたります。